アフリカ・ケニア紀行 ①「ドーハの悲劇」
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思えば、藤江さんとの出会いがなければケニアに行くことはなかったかもしれない。
元ジャイカの彼は8年滞在したアフリカを今もこよなく愛している。
そのケニアに学校を造った市橋先生はご友人で、僕も彼の紹介で3年前にお会いした。
何故ここに学校を造ったのか、昨年末妻のサラ先生にお話を聞き胸が締め付けられた。
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青年海外協力隊でボランティア活動したのち、大使館に勤めるも、思うところがありケニアで牧師を志す。
最初の年のクリスマスに集まってくれたのは、ほとんどがスラム街の子供達だった。
キャンディー欲しさにしがみついて来るけな気な小さな信者がたまらなく愛おしく思えた。
発展途上国、しかもスラム街では最低の生活を強いられ学校に行ける子などはまずいない。
ケニアの母国語はスワヒリ語で英語が話せなければ就職先も限られ犯罪に染まる子供達も少なくない。
日本には義務教育があり脳力の範囲で職の選択をするが、スラムでは生まれた瞬間に将来が決まる。
「この子達が立派な社会人なる為の礎になろう。」
それから小中高の一貫校を造るのにずいぶん時間も掛かった。
給食代を含む経費が一人当たり年6万円掛かるが、スラム街の子供達からお金は取ってはいない。
現在生徒は90名、今年初めて卒業生を送り出すことが出来たそうです。
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この話に心を打たれたライオンズクラブ3人が、11月中旬羽田国際空港のロビーに立っていた。
此処からカタールのドーハで乗り継ぎをしてケニアに向かう。
サッカーのワールドカップでロスタイムに点を入れられ日本が予選敗退したあの「ドーハの悲劇」
もし乗り継ぎが出来なと悲劇が我々を襲い、どれほどの惨事を招くか想像はつかない。
おまけにISの盛んなイランイラクの対岸でサウジアラビアの隣と立地条件も整っている。
当然、搭乗する人もアラブ系の方が多く、この中に戦士が紛れ込んでいないこと願ってやまない。
出発の前日、タンザニアの藤江さんとテレビ電話で最終打ち合わせをした。
ドーハ空港で迷ったら目印の「強大な黄色い熊のぬいぐるみ」を探せと言われた。
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コメント欄
吉川 順治 (2016年12月05日 10:33)
いよいよ、始まりましたね。
プロローグ、今後私達の活躍がいかに?楽しみですね!
西村 (2016年12月05日 15:59)
始まり、はじまり。
土田孝男 (2016年12月05日 16:12)
そうか 巨大な黄色い熊の人形 何が出てくるのやら?
西村 (2016年12月05日 18:47)
はい今晩、お話しいたします。
藤江幸子 (2016年12月10日 21:53)
お話の続きを楽しみにしております♪(ワクワク)
テディベアがもう少し可愛かったらいいのにとこの空港に着くと思います(^^)(笑)
山本恵子 (2016年12月11日 07:25)
おはようございます。
楽しみにしていました。
海外に一度も行った事がない私にはアフリカは夢の夢
黄色いねいぐるみの先が待ち遠しいわ^ - ^
西村 (2016年12月13日 07:26)
幸子さんの言う通り、熊のぬいぐるみは、可愛くありませんでした。笑。
西村 (2016年12月13日 07:29)
恵子ちゃん、あなただったら行けます。笑。
えっ、海外ないんですか。旅好きなのに。
近場の台湾がお勧めです。宮崎から直行だから楽ですよ。
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