アフリカ・ケニア紀行 ⑥ギガバレスラム
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ケニアの首都ナイロビの人口は300万人、治安は並みのやや下だろうか。
サファリのテントで肉食獣と隣り合わせの3泊を過ごした我らに怖いものはないのですが
ナイロビでの、一人歩き、夜の徘徊は絶対しないようきつく申し付けられていた。
それでも、散歩したいのなら、槍と剣を携えたマサイの戦士を護衛に付けてはと思いもしたが
強盗に襲われる前に、パトカーで連行されると思う。
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今日は、ケニア訪問の最大の目的である市橋先生の施設を訪ねる。
此方の都合でスケジュールを延ばした為、学校は冬休みになっていた。
そこで、同じ系列の幼稚園で待ち合わせをすると、6名の生徒さん達が出迎えてくれた。
スラム街には発達障害の子が多く、その原因の一つとして、親の栄養失調が胎児の成長を妨げているという。
発達障害には、自閉症、学習障害、注意欠如多動性障害などがありまが、
適切な療育や訓練を受けることにより、症状は改善され、社会への適応能力が上がると聞きます。
最初にお礼の言葉を述べたリーダーのアレックスには親はなく、この障害を持っている。
しかし彼が普通の子供にしか見えなかったのは、親代わり育てた市橋夫妻の愛情が注がれているからだと思う。
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デニスは冬休みの間、この幼稚園に出てきて作業の手伝いをしている。
彼が一日の中で口にする食事は、学校の給食だけだそうだ。
冬休みは、当然学校は休みですが、彼の為に仕事を作り昼食を与えている。
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大半の生徒がスラムで生活をし、この学校に通っています。
授業料は免除されますが、国が補うのではなく、市橋先生の所属する団体や個人の寄付で賄っている。
子供一人に掛かる教育費や給食費が年6万円。
1年分の経費を個人で寄付する人や、複数で集め寄付する人達もいるそうです。
ライオンズや友人達から預かった寄付金で、子供3名を一年間教育できますと、喜んでおられた。
美々津ゴルフ場の北村副支配人から頂いたネーム入りのウエアはサッカーのユニホームとして
お菓子やおもちゃは、クリスマスに使わせて頂きますと、サラ先生が目を細めた。
お菓子は、その場の6名に分け与えてもいい量だった。
サラ先生のその一言が、今でも、頭の奥に残っている。
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これから、市橋先生と、子供達が住む「キバガレ・スラム」を訪問する。
まず、観光で行く事はないだろうし、入ることも出来ないし、入りたい気持ちにはならない。
入ったら出てこれないような、治安も悪いだろうし、怖い、そのイメージしかないのである。
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首都とは思えないほど道は狭く、車が停車した正面に、鉄の門が見えた。
門番は、ことのほか人相が悪く、鋭い目は獲物に襲い掛かるライオンの様だ。
野生の大国では野獣も恐れぬドライバーであったが、借りて来た猫の様に小さくなっている。
ここは市橋先生の顔パスで、子供達の顔を見てさらに、門番の表情はマフィアから牧師に変わった。
市橋先生は、スラムの子供達に手を差し伸べた救世主で、市長よりも、知名度も信頼度も高い。
強面の青年達も、神父の前では、子羊の様に大人しく、僕達は先生の背中にピタリと一列に行進した。
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写真撮影はNGだったが、特別に隠し撮りの許可が出た。
おへその辺りでシャッターを切っているので、ピンボケと枠外しはやむを得ない。
幅4m程の赤茶げた道の両脇には、店とは名ばかりの台の上に干し上がった魚が積み上げてある。
これを出汁にするのか、このまま食べるのか、湯で戻し塩焼きにするにしても、
この干し物は、優に賞味期限を3周はしてますな。
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生徒が自宅に案内すると、人一人がやっと通れる狭い路地を奥へ奥へと入って行く。
足元はゴミが何層にも踏み固められ、しめった赤土を踏むごとに靴の重さが増していった。
建物の外壁はトタンで、中に内張りはなく、強風が吹こうものなら、ひとたまりもない。
生徒が腕を引いて連れて来た老婆は、彼女のおばあちゃんだった。
外国で一番最初に感じるのは、顔立ちや肌の色の違いだったりする。
僕達がアフリカ人の顔をまじまじと見るように、相手様も、此方をまじまじと眺める。
お婆様が、僕達とこころよく握手をしてくれたのは、市橋先生と同じ民族だったからだと思う。
自慢の孫の肩を誇らしげに抱き寄せ、僕らをいつまでも見送ってくれた。
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ケニアに渡り牧師となり、最初のクリスマスの日に集まってくれたスラム街の子供達。
キャンディー欲しさに、しがみついて来る小さな信者たちが、たまらなく愛おしい。
「この子達の為に学校を造りたい。」長い年月を掛けて、それは実現した。
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