台湾の散歩 (その.3
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九份は、その昔9世帯しか家がなかったので、その名がついた。
日本統治時代に金鉱として栄えた後、通訳をしていた頭(がん)という人が後を受け継ぐ。
ガイドさんの父親は顔さんの事よく知っており、大富豪だったが大変親切な人で、
鉱山で働く人達に、自分の土地に家を建てさせ、それが現在の街並みになっている。
顔さんの息子は石川県の女性と結婚し、その子供が何と歌手の「一青窈」だって。
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九份があれば十份もある。
その名の由来は、炭焼き小屋が10あったから。
十份で途中下車したのは、ランタン(天燈)を飛ばすためだ。
直径1mはあるランタンの側面に墨で願い事を書き天に放つ。
正月は千個以上のランタンが夜空を星で埋め尽くす。
最終的に落下するランタンを回収するとお金が貰え、もっぱら子供達のアルバイトだ。
他に5份があるそうだが、急な坂の上り下りで疲れ、その意味を訪ねる者はいなかった。
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暑いので、太極拳は日の出前に始まり6時過ぎには終わるとリンさんに言われた。
ロビーに5:30集合にしたが、案の定3名が寝坊した。
歩けば30分の距離だが、昨日一万歩も歩いている僕達はタクシーを呼んでいる。
この公園は中正紀念堂。蒋介石にまつわる遺品や巨大な彼の石像がある。
敷地の広さは25,000㎡。100mの正方形が25コ。縦700mの横350m。デカい。
門を潜ると広場を囲むように3つの建物が立っている。
外観は宮殿だが右がコンサートホールで左がオペラハウスだ。
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紀念堂には台湾に来るたび必ず連れて行かれる。
入場無料なので旅行会社としても、ここは押さえたい。
いつも一階の資料館を先に見てエレベーターで石像の階まで上がり記念撮影。
時たま衛兵の交代式に出くわすこともある。
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それにしてもこの大広場に誰一人いないとは、太極拳の太の字もないではなか。
そん時「カツ・カツ・カツ」と聞き覚えのある靴音。
向うから衛兵が国旗を揚げるべく行進して来た。
時計を見ると6時。観光コースにはけしてない、朝の衛兵国旗掲揚式。
我々だけの為にやって頂いているような、ちょっと嬉しい勘違い。
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衛兵について行くうちに紀念堂の下まで来た。
展望の良い建物の上から探そうと、長い長い階段を何度も休憩しながら踏みしめる。
「どれどれ」と手をかざすと、「いた、いた」樹木の中にうごめく集団。
同じユニフォームをまとったご年配のグループだった。
「ニーハオ」と挨拶すると、全員が振り返り「二ーハオ」。交渉成立だ。
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体操が5分で終わると「今からウォーキングしますから着いて来てください」と
2列になって行進が始まった。「シーハー、シーハー」※掛け声です。
一体外周は何キロあるのだろう。「シーハー、シーハー」
29°の中、膝を高く手を大きく振ると、滝の汗が止まらない。「シーハー、シーハー」
このグループはウォーキング愛好会だった。「シーハー、シーハー」
中正紀念堂の裏に差し掛かった時、僕達は驚いた。
昨日から探し求めていた太極拳の集団が強い日差しを避け建物の陰に潜伏していたのだ。
汗だくに通り過ぎる我々をしり目に、涼しげに体をゆったりと動かしていた。
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それはいいが、スタートの場所に帰って来たのに素通りたよ。「シーハー、シーハー」
えー、ひょっとして、もう一周するの?「シーハー、シーハー」
集団の中に挟まれた同志は、案ずることなく、渦の中に飲み込まれて行く。「シーハー、〃」
いったい、あと何周すれば、僕達は解放されるのだろう。
言葉が通じないのは不便なものだ、黙って去れば、礼儀に反するし。
彼らが「もう、良し」と言うまで、何処までも膝を高く手を大きく振った。
観光に来て中正紀念堂を行進で2周したのは後にも先にも我々だけと思う。
皆さんも台北に訪れた際は、是非足を運んでくださいませ。服装はスポーツウエアでね。笑。
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