過去ログ 大連の旅 その1
2月から毎日コロナ。いい加減、疲れた。早くワクチンを。
以前のブログより、
当時、中国の食料品質が問われていた。体に害を及ぼすようなものが混入され衛生上めちゃくちゃだった。
中国の行列の出来る料理店のザリガ二の餌は人糞だそうだ。
日本ではあり得ない不衛生なことが此処では平然と行われている。
中国3千年の歴史は中国人民の胃袋を強くたくましく育てたのかもしれない。
その中国に行く事になった。とりあえずは下痢止めを宿泊分バックに詰め込むことだ。
宮崎空港から福岡へ。平日なのに国際ターミナルは海外旅行者であふれていた。
出国手続きをしている時だった。山田会長の名前をカウンターのスタッフが呼ぶ。
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緊張した山田会長とは裏はらに、にこやかな顔で話しかけるスタッフ。
パスポートのことで何か言われているようだが会長は先月再発行したばかりで何の落度も無い。
会長がこちらをチラチラ助けを呼んでいるのかの様な。
行って見て驚いた。有効期限切れの15年前のパスポートがそこにあった。
そういえば、会長のパスポートだけ異常に大きかったのは、旧パスポートだったんだ。
女性スタッフに「今からパスポートを宮崎からFAXしてもらうので飛行機に乗せてください」と申し出ている。
今までどんな会話していたのか分からないが、「たとえ出国できても、お客様は日本に帰ってくることが出来ません」と笑いをこらえていた彼女の肩の震えが止まらなくなった。
海外旅行に行くと必ず現地ガイドさんが 「命の次に大事なのがパスポートです。これを無くすと日本に帰れません」 と言うあのパスポート。会長は帰る前に、帰る事になったのであります。
「明日の便で大連に行きますから」と言い残し、ゴルフバックを肩に食い込ませ立ち去る会長。他人が見たらバカンスを楽しんで帰国した人にか見えない。
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大連は第一次世界大戦でロシアを破った日本軍が約40年間植民地にしており満州と呼ばれていた。
中国の中では一番反日感情の薄い地区らしく、中心市街地には当時日本軍が造った民家に今でも人が住んでいるそうだ。
飛行機の小さな窓から外を見ると黄砂の如く白い霧に包まれ、自衛隊と共有してるのか迷彩色の爆撃機が一列に並んでいた。
空港では古賀さんの知人の「ラーさん」なる人物が私達を出迎える。
古賀さんは大連より割箸を輸入しておりその会社の副社長の姉が「ラーさん」だそうだ。
羅生門の「ラーです」の自己紹介で、帰るまで彼女の名前を間違える者はいなかった。
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一日目の夕食は市内一の高級中華料理店「万宝海鮮」。ウニ、伊勢海老、干しあわびに一安心した。
ビールから紹興酒に飲み代えたころ、山田さんの話になる。
山田さんは15年前にパスポートを作ったものの、何かの理由で海外に行けなかったらしい。
だから今回の初海外旅行は誰よりも楽しみにしており、駅にも出発1時間前には来ていたそうだ。
来るか来ないかで賭けようという話になったが、全員が来ない方に手を上げたので賭けにならなかった。
そんな時、山本君の携帯が鳴る、山田さんだ。
何とあれから飛行機で宮崎にパスポートを取りに帰り今福岡に着いたそうだ。
会長としての責任感を深く感じている。問題は初海外の山田さんが飛行機に一人で乗れるかどうかだ。
そこで意見が分かれ、3人が来る方に手を上げた。
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