
インドぶらり旅④
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これから寝台列車で650㌔南の沐浴(もくよく)の里バラナシを目指す。
インドの深夜鉄道はいかなるものか。
期待と不安を交差させながら待っていると、突如サルの集団がホームに現れ、悠然と行進し始めた。目を丸くしているのは我々だけだ。
ヒンズー教では、サルもゾウも神様。
そう、町中にリラックスした牛神があぐらをかいていましたからね。
寝台列車は長椅子の上に折り畳みの2段ベッドがあり、我々が3人ずつ分かれればちょうどいい。
しかしそれがかなわなかったのは先客が2人座っていたからだ。
指定席は「早い者勝ち」で獲得できるインド流ときたもんだ。
マールが30分の交渉の末、1人を説得した。
もう1人は大学生だ。お酒を勧めたが、ヒンズー教徒は飲まない。
ならば、と顧問が虎彦のようかんを差し出すと、不思議そうに眺めているので、型紙のケースから取り出し、食べ方を教えると、一口で笑顔になった。
秋田さんと英会話がはずみ、2本目のようかんを食べ終えた時に席を譲る決心をしてくれた。
お酒をたしなんでいると、隣の車両に席を確保していたマールが現れ、「駄目です。アルコールは、罰金か逮捕されますよ」と血相変えている。
あなたたちが逮捕されると私も同罪なの。と言わんばかりだ。
「透明のコップに入れているから水にしか見えないと思うけどね。何とかならないの」。
イスラム教徒で、生まれてこのかた一滴の酒も飲んだ事がない彼に、酒の効能が分かるはずもない。
この透明な水で勇気が湧いたり、楽しくなったり、どれだけ人間関係を築いてきたことか。
すると中村主水君が立ち上がって言った。「僕が、見張ってます」
通路と寝室の境には壁もカーテンもない。
プライバシーを守るのはこの薄い毛布1枚だけだ。昼は半袖で過ごせても夜は底冷えする。
毛布の下に服をあるだけ重ね着し、マールの注意通り盗まれないよう貴重品を体のあちこち分散させて床に就いたのでした。
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午後6時に出発して着いたのが翌朝9時。15時間もかかった。
距離で割ると時速43キロ。確かにスピードが遅かった。
電圧が低いのかも知れない。
だって昨夜から充電していた携帯電池が満タンになってないもん。
日本と縁の深いサールナートは、お釈迦(しゃか)様が悟りを開き5人の弟子に説法をした場所なのであります。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう、三蔵法師)が国禁を破り中国西安の西の城門から出て天竺(てんじく)より経典を持ち帰るまで17年。
その仏教が6世紀に日本に伝来。
ライオンズクラブの先輩はシルクロードの旅をしており、西安まで一緒に行ったことがある。
翌年の目的地がインドでしたが、チベットで起きた暴動はインド北部まで広がり旅行を断念したのでした。
仏舎利塔はお釈迦様の遺骨が納められている仏塔。日向市の伊勢ケ浜を見下ろす櫛の山の頂に仏舎利塔がある。
一人の僧侶(尼)が仏舎利塔を造ると挑戦した夢は、多くの人たちの協力を得て9年の歳月の末に達成されました。
子供の頃、ここによく来ていたのは、日本山妙法寺住職の石元妙眼さんが父親の従姉だったからである。
頭にタオルを巻いて一輪車に生コンを乗せ運んでいる姿をいつも目にしていた。この旅から帰り、お寺にいる従兄を訪ね、仏舎利塔を造る当時の写真を見せてもらいましたが、竣工式にはインドからも沢山の信者さんが来ていたようです。
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