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2017年02月26日

#44『ミザリー』

人里離れた雪道で交通事故を起こしてしまった人気小説家ポール。自称ナンバーワンのファン:アニーに助けられた彼だが、そこから介護とは名ばかりの監禁生活が始まる。世界一の売れっ子作家スティーブン・キングが彼の身の回りで感じた“とある恐怖”を異常なファンに具現化して描き切った傑作




 



 



■『シャイニング』につながる恐怖

スティーブン・キング原作のホラー映画は何十本もある。『キャリー』『ランゴリアーズ』『IT』『デッドゾーン』等々…中でも特異な魅力を放っているのは『シャイニング』だろう。

 

『シャイニング』は様々な視点からみても興味深い作品だ。まず原作者のキングは映画版が大嫌いなことは有名だ。そして「そもそもコレって本当に面白いの?怖いの?」という議論もある。また、この作品には監督キューブリックが隠した謎が散りばめられていると思うファンがこの映画の謎を掘り下げるだけのサイトがあったり(ちなみにそのサイトhttp://www.theoverlookhotel.com/の管理人は『トイ・ストーリー3』の監督リー・アンクリッチ)するほど人々を惹き付けて止まない。

 

枕が長くなってしまったが、なぜここで『シャイニング』の話をしているのかというと『ミザリー』と大きく共通していることがある。それは主人公の作家が人里離れた場所で狂気と出会うということだ。

 

『シャイニング』ではオーバールックホテルに滞在する小説家の一家が見舞われる恐怖を描いているが、特に主人公のジャック・トランスが段々そのホテルに憑りついている何かに徐々に精神の均衡を崩されてゆき、やがて家族すらも殺そうという狂気に駆り立てられてゆく…。

 

『ミザリー』では交通事故に見舞われた小説家ポールが彼のナンバーワンのファンだというアニーに救出され、人里離れた彼女の住む一軒家で彼女からの介抱を受けることになる。しかし、そのアニーは常軌を逸するほどの行動や思い込みによって小説家ポールはとんでもない目に合う。

 

作品名にもなっているミザリーとはポールが書く小説の主人公の名前で本のタイトルも「ミザリーの帰還」など『赤毛のアン』的な連続した物語の主人公だ。しかしポールはそのシリーズを書くことにうんざりして、最新刊にてミザリーを葬り、新しい小説を完成したばかりだった。最新刊を手に入れミザリーの死を知ったアニーは激昂!

 

「私のミザリーを殺すなんて!この野郎!!」

 

と木の椅子を壁に叩きつけたり、複雑骨折している両足に拳を振り下ろしたりと過激する愛を憎しみに変えてポールにぶつける。

 

ポールは確信する。目の前に狂気がいると。

 

『シャイニング』は小説家が外部的要因から徐々に狂気の世界へ誘われる物語だったが、『ミザリー』は小説家が狂気によって強制的に、そして狂気から逃れるために小説を書く物語だ。

 

■描くことができなかった要素

さて、狂気の話を続ける前に原作と映画版の比較も注目したいポイントを見て見よう。

 

この映画でアニーを演じたキャシー・ベイツは見事アカデミー主演女優賞を獲得したが、確かに彼女の演技を凄い。原作者キングもいたく気に入り、後の小説では彼女キャシー・ベイツの姿を念頭に書いたキャラクターもいるぐらいだ。

 

また、小説家ポールを演じたジェームズ・カーンの演技も見事で、ほとんどベッドに寝てるか、足を引きずっているか、痛みで喘いでいるの三つだけど、狂気に振り回されるミザリー(悲惨)な男を見事に演じている。

 

この映画はこのポールとアニーのやりとりが主となっているが、この二人のやり取りがとても面白い。いつ、狂気状態アニーのスイッチが入るのか、どんな行動をすればプッツンするのかがわからない感じがサスペンスになっており、そして過去彼女が犯したとほのめかされている事件が明らかになって、命の危険性が高まったりとテンションのギアを上手くチューニングすることで観客の目と脳を惹き付ける構成や話運びは原作さながら脚本も見事な脚色だ!

 

実は結構映画版は小説版と違っていて、これでもマイルドになっている。

 

映画史上に残るアニーがハンマーをポールの両足にたたきつける名場面。あれは原作ではもっと残酷で、アニーは斧で足首から下を切断する。そしてその直後に止血するために火を押し付けたりとかなり過激な行動をとっているがそれは映画版では血が出ないようにしたためか、はたまた『シャイニング』の斧と被るからなのか、ハンマーになった。結果、一度観たら忘れられない名シーンにはなったが、アニーを演じたキャリー・ベイツは原作のように斧を持てなくてガッカリしたという。

 

また、アニーを追い詰める保安官も原作とは設定が変わっており、そしてアニーが怪しいと勘づくキッカケが小説の中でのミザリーがいう言葉というのはとてもクレバー!心に残る、引っかかった小説の中の言葉がキーになるというのは素晴らしい脚色だ。まぁ彼のたどる結末は一緒なんだが…これも映画版だとショットガンを後ろからいきなり撃たれるが、原作だと芝刈り機で生きたまま頭から切り刻んで殺るのでよりヒドイです。

 

そしてどうしても映像化不可だったのは小説「ミザリー」の部分だ。実は小説では作品の中にちゃんと小説「ミザリー」の本文があり、アニーが読んだ物語が読めるのだ。そして映画ではタイプライターにNの文字が無く、ポールが作中タイプしている紙にはNが抜けている(例えばandだとa dに)。しかし、小説ではNの文字が抜けているのは同じだが、アニーがNの抜けた場所を手で書いている。ゆえに小説「ミザリー」の部分の時はNのフォントが異なるというこだわりが面白いし、ポールとアニーの共同作業による創作という要素が高まるのだ。

 

さすがにこれはうまく映像に落とすのは難しかったのだろう。ただNが抜けたタイプライターで文を打っている(ちなみに、Nの抜けたタイプライターはスティーブン・キングが最初の小説を書いたときに使っていたタイプライターがモデルだ)。

 

ただ、アニーがドン・ペリニヨンのことをドン・ペリグノンと呼ぶが、これは“Dom Pérignon”はフランス語なのに英語読みしてしまった為の言い間違いだ。この場合のフランス語はgは発音せず、gnでニュになる。アニーは補わなくていい所を補ってしまっていたのだ。

 

■アニーの正体

アニーは敬虔なキリスト教徒であるというところが作中で描かれているがこれはアニーが小説「ミザリー」の世界に入り込むことと密接であると私は考えている。

 

なぜなら彼女は物語にすがるしかないという人と描かれているからだ。

 

なぜ彼女の精神が不安定なのかは作中では明記されていないが、実は父親からいたずらや暴力(おそらく性的なもの)を受けていたという設定があり、それは監督ロブ・ライナーとアニー役のキャシー・ベイツは理解した上ではっきりとは明かさず、口調や振る舞い方によってそのこと内在させた演技だけにとどめていた。

 

宗教も一種の物語だ。神様が書いたわけじゃなく、人の心の善と悪の側面を普遍的な視点から見抜いた天才が書いた空想話で人の真実やあるべき姿を解こうとしている書物だ。

 

アニーの中では恐らく宗教とミザリーは同じ地平にあるものだろう。現実から逃避するためだけの道具ではなく、もっと大きな自分が現実で生きてゆく希望や光の一種であり心のバランスを保つための優しい嘘なんだろう。あまりにも過剰な演技と顔面の迫力で笑ってしまうほどなんだが、この狂気過ぎて笑ってしまうのはもはや演技の賜物だと思う。アニーの振る舞いに、ドン引きしつつも笑ってしまう。恐怖と笑いは紙一重だというが、それを同時に感じさせるのは演技という魔法でキャラクターに命を宿さねばできない。狂気に憑りつかれた者を演じるというのは役者にとって最高の名誉であり、危険な香りの内在した花を見に纏うことになる。

 

そして、アニーのもう一つの正体。それは、ドラッグだ。

 

実はこれは原作者スティーブン・キングが告白している。アニーというキャラクターは彼がこの作品を書いていた時期に感じていたドラッグに対する気持ちだと。彼曰く「アニーは私の抱えるドラッグに対しての問題の象徴なんだ。彼女は僕の一番のファンさ、そして決して放してはくれない」

 

およそ20年、スティーブン・キングは「ミザリー」を書いたキッカケやモチベーションの事を語らなかった。ようやく告白した内容は「アニーは私の薬物依存の象徴であり、私の身体に及ぼした影響を具現化した人物なんだ。自分は世界から断絶されたという孤独感、そしてそこから逃げようともがく苦しみのね」

 

■最後のひとこと

映画の最後で、ポールはこのアニーから受けた体験をもとに本を書いてみては?と言われるも恐ろしくて書けないし、今なお彼女の姿が付きまとって私を離すことはない。おそらく一生ね、と述べた後、ナンバーワンのファンを自称する女の店員が目の前に現れて映画は終わる。

 

前述した通り、この物語はキング自身の薬物依存問題から発展させた物語だ。キングはポールとは違って物語という力を借りて、自分の中にあったものを吐き出して、そして多くの人の心を捉えた。

 

小説版だとキングが自身の小説家としての気持ちを吐露しているような箇所があってそこも大変面白い。これも映画からは省かれた要素だ。

 

この映画は形を変えた「アラビアンナイト」でもある。面白い物語を語らないと殺されてしまう「アラビアンナイト」と、納得のいく物語を認めなければならない状況下に置かれたポールの立場は遠くない。

 

彼らは物語によって生命の危機を乗り切ろうとする。これは人間だけができる生きるための武器であり、特別な力だ。別にそれを大きく掲げているわけではないし、テーマでもない。けれども、根底には物語ることのできる人間の力に賛辞を送っているのは間違いない。映画の中で「ミザリー」を書くことで救われたポールと、この原作小説「ミザリー」を書いて自分の薬物問題を形にしたキング。そして物語に憑りつかれて人々に危害を加えるアニー。

 

物語は大きな力を持っていることを恐怖と笑いで包みこんだ傑作だ。


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