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2017年06月25日

#48『ハクソー・リッジ』

第二次世界大戦の激戦区において75人もの兵士を救った男デズモンド・ドスを描いた戦争映画。人のみが唯一もつ信念の強固さを、人のみが作り上げるこの世の地獄の中で試される。



 

※ネタバレ全開です。よって、あらすじも省略するので、鑑賞後に読まれることを強くお勧め致します。

 

■一番嬉しかった笑顔

主人公デズモンド・ドスを演じるアンドリュー・ガーフィールドがとにかく良かった!彼の子犬みたいなあどけなさや笑顔、ヒョロヒョロ感が今回完全にプラスに働いていましたね。こう比較するのも難ですが、『アメイジング・スパイダーマン』の時より何倍も好きだし、カッコいいヒーローでした。おかげで序盤描かれるデートシーンもまったくイライラせずに観れました。

 

さて、この映画ではキリスト教への信仰が主人公の大きな行動原理になっています。十戒の中の「汝、殺すなかれ」を何よりも重んじ、その信念を仲間である米軍からも、恋人からも、そして戦場の中でも徹底的に揺さぶられます。それでもなお、そこを曲げないデズモンドの姿に観客は大きな感動を覚えます。

 

では、当事者であるデズモンドが一番嬉しかった瞬間はどこだったのでしょうか。

 

それは目が見えないと絶望していた兵士の目を洗ってあげた後に彼が見せた笑顔です。

 

映画本編後の実際のインタビュー映像内でデズモンド自身がそう発言しています。しかし、私にはこの場面にはもう一つ、他の要素があると考えています。それは宗教的な意味です。

 

目が見えなくなったものに光を取り戻す、というのは新約聖書のサウロ(パウロ)が経験したことを想起させ、そして目の見えなくなった者に再び光を与える者アナニヤと自分が重なったのではないでしょうか。絶望していた人の喜びの笑顔を取り戻したことはもちろんですが、そこに自分がいつも胸と心に置いている聖書の中で描かれる奇跡が自分の近くで起きた、云わば宗教的体験が重なって、最も嬉しい瞬間になったんじゃないかな。

 

ちなみに、アンドリュー・ガーフィールドはユダヤ教徒です。なので、メル・ギブソンが以前ひどい扱いを映画内でも日常でもしてしまった人々側の人間なのですが、撮影中はそんな宗教の違いなんかは関係なく、アンドリューはキリスト教の信念を貫き通した気高き人間を見事演じ切り、メル・ギブソン監督もアンドリューの事は絶賛しています。アンドリューもテレビのジミー・キンメルのインタビューに「ユダヤ教徒だけど大丈夫だったの?」と聞かれましたが、「もうそんなことではなく、もっと深い所で理解しあえたと思うよ」と答えています。

 

Jimmy Kimmel Live URL YouTubeより

https://www.youtube.com/watch?v=zAGBGfvFg6g

 

■崖とベルト

映画において3という数字はよく使われます。三幕構成といったものは代表的ですが、三回同じものを登場させるというやり方も意識して観ると多くの映画で登場します。映画において物語を語る上でよく使われる3は面白くする魔法の数字です。

 

今回の映画でもその手法は、意識的にか無意識的にかはわかりませんが、含まれていました。

 

一つは、崖。

 

タイトルにまでなっている崖というものが幼少期、青年期、そして戦場でデズモンドの前に現れます。

 

幼少期には兄と弟が遊び場として使っている崖で、ここで崖から降りろといってもおどけて嫌だと言い、変な奴だという人物紹介と父親への言及もして、次の父親が戦争で心に傷を負った人物であることと、デズモンドのトラウマになるほどのショッキングな出来事が起こる場面に移るのはとても滑らかな流れです。ちなみに、序盤に交される台詞の字幕にはご丁寧にリッジ(崖)とルビを振っていましたね。とても良い配慮だと思います。

 

青年期では、恋人のドロシーを崖の上に連れて行き同意のもとキスをして幸せな瞬間を体験する場所として機能しています。

 

そして三回目、戦場ハクソー・リッジにて彼は崖のすぐそばで揺らぎを感じてしまいます。しかし、何かの力が心に作用して自分のやるべきことが黒煙の中にあることを確信する決定的な瞬間でもあります。崖という場所が彼の人生とこの映画の中でとても大きな出来事や意味をもたらす場所であることが三回にわたって描かれています。

 

もう一つはベルトです。

 

子供のデズモンドが兄をレンガで殴ってしまった時、父親からベルトで罰せられそうになります。実際はそれで罰を受けることはありませんでしたが、この映画においてベルトは罪を犯した者を罰する道具として登場しました。

 

二回目の登場はすぐ後です。車の下敷きになった人の傷口を抑えるためにデズモンドは自分のベルトを使用して命を救います。ここでベルトは違った意味を持つ道具になります。人の命を救うものとして。

 

そして三回目は病院にて一目惚れする相手の会話のはずみになったものがベルトでした。実際は、そこにはベルトはないのですがベルトがなくてズボンがずれ落ちそうになって困っているということでドロシーとの中々弾まない会話にアクセントを加えるものとして作用しています。

 

その後、ベルトは二回目の登場で描かれた人の命を救うものとして戦場で大活躍します。しかしよく見てみると、デズモンドは三回目のベルトの登場以降のベルトをしていません。私服ではサスペンダーになっています。

 

ベルトの役割を三つ、罰を与えるもの、人の命を救うもの、そして好きな人との繋がりのきっかけになったことを描いた後は、再び人の命を救うものと登場させるまで彼が手にしているところを映さないのは、故意的にか偶然的にかはわかりませんが、映像表現としてグッとくるんです。

 

 

■描かれなかった三回目の戦闘

この映画では合計三回の戦闘シーンが描かれます。しかし、三回目の戦闘シーンはほとんど描かれず、中心として映し出されるのはデズモンドが負傷して戦場から救出されることと、聖書のシーンだけでした。

 

実は史実ではもっとドラマチックなことが起っていました。

 

デズモンドが手榴弾を蹴り上げて負傷し、一度失くした聖書を誰かが見つけてくれたというのは史実です(実際には聖書はデズモンドが戦場から救出された後に、聖書がないことに気づき、仲間に探してきてくれと頼み、仲間が戦場で落ちてあるのを見つけて彼の元に届けられました)。映画と違うのは戦場から救出される方法です。

 

彼が手榴弾の破片によって被弾した後、五時間救出を待ち、ようやく担架で運ばれる際、彼の目に怪我人が目に入り、自ら担架から転がり落ちて、彼の元に這って行き、傷の手当てを施しました。そして彼は自分よりもこの怪我人の方を先に連れて行ってくれと指示し、その場に留まりました。

 

しかし、その間に彼はスナイパーの撃った弾丸で左腕を負傷してしまいます。そこで彼は初めて銃を手に取ります、

 

といっても、その負傷した左腕の添え木とするために使用するためです。そして、その状態で約300メートルを這って自ら戦場から脱出し、応急医療処置所まで到達しました。

 

マジかよ、と思うかもしれませんが、だからこそメル・ギブソン監督はこの史実を映画内に含めませんでした。かなりドラマチックなシーンではありますが、あまりにも凄すぎる利他的な行動に観客が信じてくれないことを懸念して描かなかったそうです。

 

確かに、この映画の信念を貫く気高き魂は第二の戦闘後のデズモンドの行動で十分に描かれているのでこれ映画内にあろうがなかろうが、この映画で描きたかった人間の姿が抜けてしまったとは思いません。むしろ、尊すぎて信じられなくなることを心配するぐらいの史実があったことを、どうにか映画として信じさせるギリギリのラインがこの映画内のデズモンドの行動だったのかもしれません。

 

ちなみに、デズモンドが負傷兵を崖から一人ずつ降ろしている時に、実際は日本人に発見されていました。もちろん、日本兵はデズモンドに標準を合わせて引き金を弾いたのですが、どういうわけか、何度も、弾が詰まって発射できなかった、と言われています。

 

■最後のひと言

戦闘シーンも凄かったですね。この世の地獄のような凄惨な世界が描かれ、「俺はこんなとこには絶対に行きたくねぇな」という気持ちが湧かずにはいられません。そういう悲惨さを徹底的に描くことで結果的に「戦争はごめん願いたいな」という気持ちにさせてくれるのは『プライベート・ライアン』と同じです。

 

しかし、今作では『プライベート・ライアン』とは違った感情が戦場シーンで生まれます。それは仲間が死ななくて良かったと思えるシーンがあることです。グールと呼ばれる男が爆弾の仕掛けに失敗して吹き飛ばされた後、死んだかと思ったら実は生きていたとするシーンはホッとします。このように「いつ死ぬかわからない恐怖」と同時に「助かってくれて良かった」という人そこに描かれていました。

 

今作の戦闘シーンは本当に良かった。映像的な目新しさや、カメラの動きももちろんですが、残酷で悲惨な場面を徹底的に描くことによってデズモンド・ドスのヒーローとしての側面が高まるだけでなく、彼の信念の強さがどんどん強調されていく大事な要素になっているのです。

 

この映画は、別に反戦だとか、アメリカ万歳とか、決してそんな小さな話じゃないです。

 

己の持つ信念を曲げなかった人がそこにはいた、ということです。

 

その舞台が彼には戦場であっただけです。

 

そしてそこに普遍的な感動があるのだと思います。

 

己の信念を試される場所は別に戦場だけではなく、時代も場所も関係なく、あなたの人生という舞台の上での行動なのだと。


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