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2016年10月23日

#38『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

言わずとしれたタイムトラベル映画の金字塔。映画の面白さがふんだんに盛り込まれ、映像ならではの特性はタイムトラベルと抜群の相性を持つことを決定的に描ききったという点で、SF映画だけでなく、映像表現に多大な影響を与えた大傑作。



 

この作品は伏線や小ネタを発見する楽しみもあるが、それは他の方々が語りつくしているし、調べればゾクゾクと出てくるのでそれは置いときます。今回は他の人があまり語られない側面を三つ挙げて紹介します。それは、

 

一、時を超えた友情

二、変わらない悪役

三、歴史は繰り返される

 

です。もちろん、ネタバレ前提です。

 

■時を超えた友情

主人公のマーティは災難によって友達のドクが開発したデロリアンを改造したタイムマシンによって30年前の1955年にタイムトラベルしてしまう。

 

事前にドクからタイムトラベルを可能にする「次元転移装置」のアイデアを1955年に閃いたことを聴いていて、偶々タイムトラベルをした日がその日に設定されていた。おかげで僕は未来から来たんだ!と言うマーティのことを最初は妄言を言っている不思議少年と思っていたドクだが、マーティがその日にドクがトイレの縁に頭をぶつけて閃いたことを知っていたことによって彼の話を信じるようになる。

 

それから、ドクはマーティを未来に戻す、つまりバック・トゥ・ザ・フューチャーをするために協力するようになる。やがて、運命の日がやってくる。この日を逃したらマーティは元の1985年に戻ることができなくなる。運命をかけた実験をやる前に二人が抱き合い、ドクが寂しさと戸惑いという不思議な感情が入り混じった表情をしながら抱きしめる。

 

ここがなんともよくて、グッとくるんです。

 

ドクとマーティは1985年では年が離れている友達として関係が描かれていますが、1955年のドクはマーティの知っているドクではないし、ドクもマーティを自分の未来の発明によってやってきた少年ではあるが、赤の他人だ。

 

それでも二人の間にあるのは友情だ。1985年の関係とは違っているかもしれないけれど、確かに二人は友人になっている。これはタイムトラベルではないと描けないありえない関係であり、不思議な形の友情だ。

 

試すことはできないけれど、今現在心通う人と、もしも違うタイミング、異なる時間と場所で出遭っていたとしても繋がることができるかもしれない、ということも描いている気がして、私はグッとくるんですよ。二人の友情にね。

 

■変わらない悪役

この映画の悪役はビフ・タネンといういじめっ子だ。絵にかいたような悪ガキで、アメリカ版ジャイアンのような風格だ。第一作目では初登場時にはジョージの嫌な上司であり、少ないシーンでバッチリの観客の脳裏に刻み込まれる演技と台詞による彼の見せ方はすごい!第一作目ではジョージの人生に影を落とす存在であるいじめっ子であり、マーティーの計画を妨げる存在として悪役としての役割をしっかりと果たしている。その上で自分は悪いことをしているという自覚は全くなく、自分の欲望のままに行動しているだけの男。そんな人間がタイムトラベルという題材でどれだけ悪役として機能を高めるかを証明したこともこの映画の見過ごされがちなポイントじゃないかな。


また、第二作目では完全に彼の話になっていて、主人公でも副主人公でない彼を中心に過去と現在と未来を中心に動かしていく構成や展開になっていく。第一作目でちゃんと傍若無人ぶりを発揮しているのを見せているから、そんな彼が多額の資産を持つことによって生まれたダークサイドに落ちたヒル・バレーの様子を見てもちゃんと腑に落ちるようになっている!

 

そして第三作目では、祖先もほとんど性格が変わらず、ただ銃をプラスしただけで西部劇の悪役の出来上がりだ。でも彼は自分なりの哲学にしたがった生き方をしているだけで、人の人生を破滅させたり、世界を支配したいなんて考えていない。けれど、そんな彼がどの時代でもマーティー達側から見れば立派な悪役として立ちはだかることになる。


このビフというキャラクターは別に人間の深い闇を体現したような奥行きのあるキャラクターではない。けれど、過去現在未来に幅を利かせられる汎用性を兼ね備えた悪役だ。こんな悪役、滅多にお目にかかれるもんじゃないぜ。


■歴史はくりかえす

この映画がよくできているな、と感心する点は数えきれないぐらいあるがやはりコレに触れない訳にはいかないね。それは、歴史はくりかえす、ということだ。

 

これは第一作のレビューというより、全シリーズを通して見えてくる魅力で、同じギャグを天丼させて同じことがいつの時代でも起こるという新しいユーモアでもあり、人間の真実かもしれないなって感じさせる。

 

例えば、主人公マーティは何度も何度も気絶する。その度に目を開ける前に「ママ、ママなの?」と言い、相手は1955年のロレイン、第二作目では1985年の改変されたロレイン、第三作目では1885年のマギー・マクフライに起こされる。

 

あとマーティが音楽に自信がないことと、ジョージが自分の書く小説に自信がないことをダブらせて、いつの時代でも変わらない共通の悩みを描き、共感して血を争えないことと親子のつながりをサラリとみせる素晴らしいシーンだ。

 

また、喫茶店でビフに因縁をつけられたり、ビフは全作品で馬糞に突っ込んだりする。

 

中でも、うまいなってうなるのは第一作と三作目のラストだ。

 

第一作目はラストでマーティが「ここの道では加速できないよ」とドクに言ったら、ドクは「道?これから行くとこに道などない」と言って空を飛んで未知の未来へ飛んでゆく。

 

第三作目であり、シリーズの大団円は、未来のマーティが受け取る解雇通知の文字が消えて白紙の紙になる。そしてジェニファーがドクにこれはどうゆうことなんですか?と聞いて、ドクが「これからの未来は白紙なんだ。描かれた未来などない。未来は君たちがいかようにも作れるから、いいものを作っていくんだよ」と言って空を飛んで消えてゆく。

 

歴史は繰り返されるということをここまでわかりやすく、しかもちゃんとギャグにも、ストーリーにも、テーマにも絡めて描き切ったのはやはり凄いとしか言いようがないね…。

 

繰り返される出来事を様々な時代で見て聞いて体験したマーティは、シリーズの最後で成長した人間として描かれている。人間は同じような出来事や過ち、失敗、をするけれどそこからちゃんと前に進むことができているんだということも描いてるよね。

 

■最後のひと言

私はこの映画が生涯ベストの作品です。

 

私が映画狂になっちゃったのもこの作品シリーズをテレビで観たからだ。

 

忘れもしないあの昼下がり、ブラウン管の中で繰り広げられた時空を超える大冒険。

 

観終わった後にクラクラして、来週放送される続編が楽しみで、その一週間がとても長く感じたことを。

 

主人公マーティーはタイムトラベルによって様々な人の人生を変えてしまうのだが、彼はこの作品を観た観客の人生をもまた変えた。

 

空飛ぶ車がいつか作られた日、必ず人々はこの映画のデロリアンを思い出すに違いない。遠い未来の人の中にも残っているであろう、SFを超えて、人々の思い出になり、まだ来ぬヴィジョンを提示してくれる。

 

人の心を過去にも未来にもタイムトラベルさせてくれるとても楽しい作品。時を超えて愛されるであろう、これは映画を超えた何かだ。

 

Your future is whatever you make it.


コメント欄

ほさか (2016年10月23日 21:58)

私もこのシリーズが生涯最高の映画だと思っています。3作とも映画館で観ています。しかも、3作とも最初に発売されたLaser Discと後のDVDで持っています。第1作は大学生の時でした。
特にこの作品で思うのは、「未来は白紙、君たちが作れる。」と締めくくったところは、今の子供たちや若者に訴え掛けるものがあると思います。
常々言っているのですが、こう言う作品こそ「文科省推薦」として、広く観てもらうべきものだと思います。

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